先日、たまたま古本店で見つけた『原典ユダの福音書』
学生の時に発見のニュースを聞き、キリスト教のことは分からないながらも「発見」という言葉になんだか色めき立ったのでした。
その頃の私はインドの宗教文化に惹かれはじめ、インド哲学のサーンキヤ学派というのを知りはじめていました。
インド哲学の本は言葉が難しく、日本語自体が「??」ということも多々あったのですが、分からないながらもその哲学に惹かれていったのでした。
大昔の人々が真剣に考えていたことを垣間見ることが楽しかった。
今にも通じる部分も新鮮でしたし。
そしてこれを書いている私自身にも大変響きます。人生が経つごとに重みが(笑)
太古のインド。しかも起元前から原型があるものなので当然理解しきれる訳もなく、ひとかじりもできないまま卒業。ほんーーーの少しの時間でしたが、初めて勉強というか「自ら知る」姿勢と楽しさを体験できたのがこのインド哲学だったのでした。同時期にインドに行けたのも大きかった。
サーンキヤで「知識」を理解しヨーガの「行為」で解脱に向かうのが目的とされています。ヨーガ学派と兄弟的なもので、ヨガされてる方は勉強されているかも。
ででで、なぜインド哲学から先に説明したのかと言うと、この『ユダの福音書』はこのサーンキヤ哲学と共通する内容なのです。
原始キリスト教にも哲学的な教派があってグノーシス派というそう。
グノーシスとはギリシャ語で「知識」
グノーシス派について知るともっと面白いのですが、それはぜひ本書を読んでいただいて。インド哲学だけでなく様々な哲学、宗教観が複合的に絡んで独自の神話を作り出しています。
今読んでいる『あるヨギの自叙伝』にも重なる部分が。
福音書が見つかった砂漠。真理を追究した人々。太古のインドとその宗教。様々な宗教美術。などなどえらい古代に想いを馳せる台風の通過後。
ちょうど土星が射手座。
宗教、真理、哲学、考古学。射手座はそんな壮大なものを表します。
海王星と90度で壮大さに妄想も入り気味でまとまりにくい今回でした。
何回も消しかけた(笑)