2013年に梅原猛さんの『日本の深層』をガイドブック代わりに東北を友人と旅して以来、日本人の、自分自身のルーツに興味を抱くことが多くなりました。
東北の地はそれまで一度も行ったことのない土地だったのですが、関西の山々や景色に比べ、樹木の種類が多く、山の景色や時間の流れもまた違い、自然のスケールも大変大きいところでした。人間のちっぽけさが身近というか。
そして不思議とすごく懐かしい場所なのでした。
この頃から神話学にも興味が湧いたり、そこからシャーマニズムを知るきっかけにもなっていったように感じます。
最近、梅原猛さんの『古事記現代語訳』『君は縄文人か弥生人か』を並行して読んでいました。渡来人が来る前にすでに日本で生活を営んでいた縄文人とその末裔アイヌの人々についてにふれられています。
この縄文人自体もポリネシア、インド、ユーラシア大陸などなど色んな地域からやってきた人々から成り立っていたと私は思っています。そこにさらに弥生文化が大陸からやってくる。
世界の色んな地域の人々の通過地点やたどり着いた場所だったのかもしれません。もとはとてもグローバルで国際色豊かな国だったんだろなぁと思います。世界の色んな人々が行き来する土地。でも山々も多いので日本の中でもそれぞれの地域色が異なっていたのかもしれませんね。日本の中にいろんな国があるような。
なので古事記の中でも沢山の人々や兄弟が戦います。
普段の生活の時間の流れから抜け出して、壮大でいにしえの時間を感じることができる古事記。その登場人物や出来事は象徴であったりしますが、神話でありながら史実でもあるとされる形式は世界でも珍しいとのこと。
史実として読むと一体これはどんな出来事だったのだろうと想像するのが私は好きです。写真は篠山の神社。こちらも古代の祭祀場だったのかもしれない。と想像膨らませた場所です。